pikaの雑記

とある学習院大生のブログ

この理不尽な世の中で

高校を中退し引きこもりと化した僕を、親こそは看取ってくれた。
だが、当時から僕はネットに入り浸っていたため、自ずと自分のような「中卒(高校中退)」や「ニート」の非難や、実話かフィクションかは分からないが「中卒ニートの末路」といった情報ばかりが僕の目に入ってきた。
─そうか、僕は今社会の底辺に位置するのか
と悟った。



僕はなろうとして中卒(高校中退)ニートになったわけではない。高校中退してすぐの頃は早稲田に行きたいという節を予備校の人間に相談を持ち掛けたこともあった。
決して自ら堕落しようとはしなかったし、自分は大学くらい当たり前に行くような人生を想定していたと思う。



しかし、世の中の人間たちにそれらを斟酌する余裕は無い。恐らく、自分のことで精一杯なのだろうか。
とにかく、あいつらは「自分より下の人間」を馬鹿にしたがる。幼い頃に教え込まれたであろう勧善懲悪的倫理観なんかあったもんじゃない。

 


大学生になった今でも思うところがある。

高校生の頃はいい子にしていたであろう大学生も、酒を得て、家に帰らず遊び呆けたりしてしまう。
大学の授業も、真面目に出席する人は少数で、一部の授業においては、レポートも他人の情報頼りにコピペコピペで済ませ、テスト前だけ真面目な人を頼りに頼って単位はS(秀)を取得。めでたしめでたし。



所詮義務教育なんてガキを一時的に押さえつける為の手段にしか過ぎなかったのか。
真面目であることを誇りに思うことがバカらしく思えてくる。この世の中に正義なんてあったもんじゃない。



勿論僕だってそのような不正を必ずしもしないわけではない。授業にだって出ないこともある。
しかし、大学に通ううちに学んだ。というよりは、学ばざるを得なかった。
目的意識もなく、ただ真面目に振る舞うことは、かえって自らを苦しめるだけだと。

それは、ある意味義務教育からの卒業だった。
人間ってのは究極的には自分のために生きている。何かの信条だとか不要な道徳にとらわれる人生など、他人に言われるがままの人生と同じで、所謂他者の下僕に過ぎないと。

 


僕が素直ではない性格だからか、大学の一部の上の人間から「お前は就職できない」だとか、「人の話を聞け」とか言われ放題。
しかも、そういう奴らに限って大学から修士課程、博士課程まで同じ大学でエスカレーターし、そのまま苦労をせずに助教になっな人間だったり、高卒で就職口が無かったが、たまたま知人の紹介か何かで成り行きで工場に就職した人間だったり、自らの意思を持って自らの人生を切り開いてきたような奴らじゃない。



とにかく、世の中は理不尽に満ち溢れている。
最近だと、長時間労働だとかパワハラだとか、昔は精神論で何とかなったようなことはメディアに取り上げられ撲滅されつつあるのだろうか。それが個人単位まで完全に矯正されることは決してないだろうが。

 


まあ、いくら文句を言ったところでしょうがない。そんな世の中なのだから。
こんな世の中でマトモに生きていくんなら、上の人間に媚びたり、決して失敗をしないような努力をすることが大事なのだろか。
いや、ある意味それは抽象的すぎる。
恐らくこれから生きていくにあたって、起こりうるシチュエーションなど無数にあるだろうし、それに一々対処するのも枚挙に暇がないように思えてしまう。
いや、そんなことを考えること自体が不毛なのであろうか。
予測できる未来に対処することなく、運命に盲従するのがいいのだろうか。

 


僕なんかがいくら考えたところで明確な解答は得られないだろう。
ペーパーテストってのは、基本的に答えがあって、それと照らし合わせることで自分が正しかったのかどうか確認をすることができる。だが、世の中でうまく生きていくにあたって、何が正しいのかといった指標は無いに等しいか或いは無数に存在する。

 


それでも僕は思うがままに自分の人生を生きたいと思う。
上位国立の大学院にでもいけば、自分より上となる人間の絶対数こそはすくなくなるだろうか。学部時代の今のうちに、あらゆる知識や資格などを身に着ければ、将来有利に働くだろうか。
とにかく自分なりにやってみて、その上で失敗したのなら、上の人間に従う人生を歩むのも悪くはないと思う。
少なくとも、今僕を馬鹿にするような奴らの言うことなど聞き流しておいて、将来的に僕は間違えていなかったと言えるような人間になることを目指したいと思う。