pikaの雑記

とある学習院大生のブログ

何年かの浪費を経て

浪人とか(留年とかも)せず、普通に進学進級していけば、僕の代の人間は、大抵の人は今や社会人と化し、ごく一部の理系の人間は、修士課程の1年というわけか。

対する自分は、まだ大学の学部2年生であり、普通の人に比べ3年もの遅れを取っている。

 

 

今更そんなことを悔やんだところで、後の祭りってところだろうか。

いや、そもそも悔やむべきではないかな?自分も好きでニートをしていたわけではない。簡単に言えば、思い悩むことがあって、そうせざるを得なかった。

 

 

問題はそんなことではない。

年月の浪費による、就活の有利不利だとか、コンプレックスだとか、そんなことはどうでもいい。

ただ、その時間に本来獲得していたはずの知識だとか、本来経験すべきだったことだとか、それが抜け落ちたまま、歳だけ無駄に食ってしまったことはとても悔やまれることだと思う。

 

別に、後からいくらでも修正はきく(後から勉強すればいい)かもしれない。

でもよくよく考えてみれば、人の人生なんてせいぜい80年だか、よくて100年。それも老いれば老いるほど身体的能力は段々と低下していき、脳も必ずしも成長の一途をたどるわけではなく、どこかで劣化していく運命にあるんだろう。

その時間中に、先人たちが何百年とつくり上げてきた膨大な知識のどれだけにアクセスし、自分の頭にインプットできるんだろうか?

いや、俺は全知全能を目指しているわけではないだろう。とはいえ、将来のことを考えれば、できるだけ多方面かつ普遍性のある知識を手に入れたいという気持ちはある。

そんなことを言っていられるのも、学生のうちなんだろうか。なんたって、大学生は部活に入っていない中高生なんかよりも、よっぽど暇で時間があるのだから。

 

 

こんな暗い記事を書くよりも、

僕が蹴ったR大学の図書館を利用してみて、今更「こんな大学に通いたかった」とか思ってしまった話でもブログのネタにしたほうがよっぽど面白いだろう。

或いは、この前の冬コミで、友達にお使いを頼まれて、朝早くから列に並んでいたのだが、その最中トイレに行きたくなってトイレの列に並ぼうとした際、太っていて、前歯の一部が変色した、いわゆる「キモオタ」に話しかけられ、その人との意思疎通を図ろうとした話でもブログのネタにしたほうがよっぽど面白いだろうか?

 

 

好きにさせてくれ。

 

そう言えば、何故かこのブログも気づけば通算1000pvを超えてしまった。

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こんなブログですら読んでくれる人がいるというのは嬉しいこと。

これからも自分は日々邁進していくつもりだ。

思考の漏れ口

何だかんだ僕の学部学科(物理学科)ってのは忙しい。いや、忙しくないようにもできる。試験前に、できる友達から勉強を教えてもらったり、そのお礼にご飯を奢ることになったりするけど、最終的に単位さえ取れてしまえば差し当たりオッケーで、僕の学科の場合取り敢えず進級条件は満たしてしまう。

 

僕はしばらく(といっても数カ月間だが)の間、ブログを更新しないでいた。

別にブログなんて更新したところで、何か僕にプラスとなることがあるわけではない。かつて、アフィリエイト目的とかでブログ始めてみようとか思ったこともあったが、それは僕が僕自身に、もっと価値を見いだせてからの話だ(そんなことは未来永劫なないだろう)。

 

 

1記事1000字以上が標準的なブログ1記事あたりの文字数と聞いた。しかし

文字数に気を取られるあまり、下手に長文をつくろうと稚拙な文章になってしまったり、本来自分が言いたいことと違うことを言ってしまったりしては困る。まあ、こんな文章も稚拙極まりないんだろうか。わからないけど。

少し考え方を変えた。自分が更新したいと思ったときに、ブログは更新する。その方が僕自身苦痛でないし、そもそも強迫観念的に「ブログを更新しなきゃ」と思う理由もないアフィリエイトの広告も貼るつもりはない。正直めんどくさい。

もし、この記事に広告が表示されたのならば、それは僕が仕向けたものではない。

 

 

さて、僕は大学の2年後期を終え、長い長い春休みへと突入したわけだが、2年後期における勉強や試験の結果を踏まえ、やはり僕は物理なんて向いてないということを再認識した。いや、そもそも僕は物理に興味があったわけではない。極論、上の大学に落ちて

たまたま引っかかったのが今の大学、そしてこの学科だ。

 

 

それなら、どうしようか、院には進学するつもりだが、今後は情報科目にシフトしていこうか?もちろん今の物理学科で卒業こそはするが、その間に情報科目をうまく勉強両立できるだろうか?

そもそも、情報科目は俺に合っているのだろうか?

 

 

そういえば僕の知り合いに、情報分野は「学歴不問」とのことで、突如大学を休学し、プログラミングの勉強に専念すると意気込んでいる男がいたな。

独学ってのはモチベーションが続くものなのだろうか?そいつは、ただでさえそいつの在籍する学科の勉強にモチベが出ないと喚いていたが。やはり人間ってのは、興味が湧いたことに関してはいくらでも勉強する意欲が湧くものなのだろうか?

じゃあ、そのその興味が薄れたとすれば、その意欲はやはり削がれてしまうのか?

いや、そもそもその意欲が削がれることはないかな?そんな筈はない。

 

 

僕はできることならば、万能な人間になりたい。何でも出来る人間になりたい。

 

僕が天才だったんならば、圧倒的勉強効率で、大学も最高学府で、周囲からも憧憬の目で見られていたことだろう。将来のことを考えて憂鬱な気持ちになることもなかっただろうか?

 

 

こんな記事人に見せるべきものじゃないな。オチだって何も考えてないし、ただ僕の考えていることを思いのまま書き綴っただけだ。

でも書いている内に1000字超えたし、せっかくだから投稿してみるか。

この理不尽な世の中で

高校を中退し引きこもりと化した僕を、親こそは看取ってくれた。
だが、当時から僕はネットに入り浸っていたため、自ずと自分のような「中卒(高校中退)」や「ニート」の非難や、実話かフィクションかは分からないが「中卒ニートの末路」といった情報ばかりが僕の目に入ってきた。
─そうか、僕は今社会の底辺に位置するのか
と悟った。



僕はなろうとして中卒(高校中退)ニートになったわけではない。高校中退してすぐの頃は早稲田に行きたいという節を予備校の人間に相談を持ち掛けたこともあった。
決して自ら堕落しようとはしなかったし、自分は大学くらい当たり前に行くような人生を想定していたと思う。



しかし、世の中の人間たちにそれらを斟酌する余裕は無い。恐らく、自分のことで精一杯なのだろうか。
とにかく、あいつらは「自分より下の人間」を馬鹿にしたがる。幼い頃に教え込まれたであろう勧善懲悪的倫理観なんかあったもんじゃない。

 


大学生になった今でも思うところがある。

高校生の頃はいい子にしていたであろう大学生も、酒を得て、家に帰らず遊び呆けたりしてしまう。
大学の授業も、真面目に出席する人は少数で、一部の授業においては、レポートも他人の情報頼りにコピペコピペで済ませ、テスト前だけ真面目な人を頼りに頼って単位はS(秀)を取得。めでたしめでたし。



所詮義務教育なんてガキを一時的に押さえつける為の手段にしか過ぎなかったのか。
真面目であることを誇りに思うことがバカらしく思えてくる。この世の中に正義なんてあったもんじゃない。



勿論僕だってそのような不正を必ずしもしないわけではない。授業にだって出ないこともある。
しかし、大学に通ううちに学んだ。というよりは、学ばざるを得なかった。
目的意識もなく、ただ真面目に振る舞うことは、かえって自らを苦しめるだけだと。

それは、ある意味義務教育からの卒業だった。
人間ってのは究極的には自分のために生きている。何かの信条だとか不要な道徳にとらわれる人生など、他人に言われるがままの人生と同じで、所謂他者の下僕に過ぎないと。

 


僕が素直ではない性格だからか、大学の一部の上の人間から「お前は就職できない」だとか、「人の話を聞け」とか言われ放題。
しかも、そういう奴らに限って大学から修士課程、博士課程まで同じ大学でエスカレーターし、そのまま苦労をせずに助教になっな人間だったり、高卒で就職口が無かったが、たまたま知人の紹介か何かで成り行きで工場に就職した人間だったり、自らの意思を持って自らの人生を切り開いてきたような奴らじゃない。



とにかく、世の中は理不尽に満ち溢れている。
最近だと、長時間労働だとかパワハラだとか、昔は精神論で何とかなったようなことはメディアに取り上げられ撲滅されつつあるのだろうか。それが個人単位まで完全に矯正されることは決してないだろうが。

 


まあ、いくら文句を言ったところでしょうがない。そんな世の中なのだから。
こんな世の中でマトモに生きていくんなら、上の人間に媚びたり、決して失敗をしないような努力をすることが大事なのだろか。
いや、ある意味それは抽象的すぎる。
恐らくこれから生きていくにあたって、起こりうるシチュエーションなど無数にあるだろうし、それに一々対処するのも枚挙に暇がないように思えてしまう。
いや、そんなことを考えること自体が不毛なのであろうか。
予測できる未来に対処することなく、運命に盲従するのがいいのだろうか。

 


僕なんかがいくら考えたところで明確な解答は得られないだろう。
ペーパーテストってのは、基本的に答えがあって、それと照らし合わせることで自分が正しかったのかどうか確認をすることができる。だが、世の中でうまく生きていくにあたって、何が正しいのかといった指標は無いに等しいか或いは無数に存在する。

 


それでも僕は思うがままに自分の人生を生きたいと思う。
上位国立の大学院にでもいけば、自分より上となる人間の絶対数こそはすくなくなるだろうか。学部時代の今のうちに、あらゆる知識や資格などを身に着ければ、将来有利に働くだろうか。
とにかく自分なりにやってみて、その上で失敗したのなら、上の人間に従う人生を歩むのも悪くはないと思う。
少なくとも、今僕を馬鹿にするような奴らの言うことなど聞き流しておいて、将来的に僕は間違えていなかったと言えるような人間になることを目指したいと思う。

 

何の取り留めもない話

主に大学の勉強が忙しかったことから、中々ブログを更新できずにいた。

決して三日坊主でブログに対する意欲が尽きたわけではない。書けることはごまんとあったと思う。

理系の学科で真面目に単位を取ろうとするんなら、多少自分の時間というものが犠牲になってもしかたのないことだろう。実際、僕の周りで単位を落としている人の殆どは、遊びや趣味を優先してしまっている。まあそんなものだ。

 

 

僕は成り行きで物理学科に来てしまった。それも、4年間に留年する割合が3,4割という過酷な環境に身を置いてしまった。そのことに関しては、大学受験時の自分は何も考えていなかったと思う。しかし、自分の大学とその学部をネットで検索かけてみると、「必死に勉強して留年したという話は聞かない」という書き込みを見かけたこともあり、要するに留年なんてするのは不真面目な輩なんだという認識で間違いはないと思う。

 

 

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